北京五輪で上野由岐子選手とバッテリーを組み、金メダルに貢献した峰幸代選手。東京五輪の代表にも選ばれ、ベテラン選手として期待が高まっています。
今日はそんな峰幸代選手について詳しくご紹介。出身小学校や中学校などのプロフィール、そして1度引退して復帰した理由も含めての経歴も書いてあります。
東京五輪日本代表の他の選手の記事もたくさんありますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
峰幸代の出身小学校や中学や経歴プロフィール
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名前 | 峰幸代(みねゆきよ) |
生年月日 | 1988年1月26日(2021年現在33歳) |
出身地 | 福岡県福岡市 |
血液型 | AB型 |
身長 | 165cm |
体重 | 65kg |
ニックネーム | みねよさん・ハムちゃん |
投打 | 右投右打 |
峰幸代は上野由岐子・山田恵理と共にレジェンドといわれるベテランの選手です。
峰選手の家族構成は父・母・峰選手の3人家族。生まれは福岡ですが、3歳の時に神奈川県に移り住み育ちます。出身小学校は横浜市立上白根小学校。
小学3年生のときから少年野球を始め、中学からはソフトボールへ移行しました。通った中学は横浜市立瀬谷中学校です。
その後は強豪校である千葉の木更津総合高等学校へ入り、本格的にソフトボールに打ち込みます。
高校時代には全国高等学校女子選抜大会、インターハイ、国民体育大会と大きな全国大会で3冠を獲得。高校生の頃から経歴がすごいですね!
- 2006年 ルネサス高崎入社 1年目に新人賞とベストナインを受賞
- 2008年 北京五輪
最年少の20歳で代表に選出され、正捕手として7試合に出場。特に競技後半の準決勝・決勝進出決定戦・決勝の3試合はフル出場し、上野由岐子投手とのバッテリーで金メダルを獲得
- 2010年 アジア大会・世界選手権に出場
- 2012年 世界選手権出場
- 2014年 アジア大会・世界選手権に出場
- 2014年 現役プレイヤーを引退
- 2016年 トヨタ自動車に入社し、現役復帰
2020東京オリンピックの代表にも選ばれた峰幸代は、若手選手の教育係としても活躍中です。
特に同じトヨタのチームでバッテリーを組む後藤希友選手には、試合の考え方や取り組み方についても細かくアドバイスをしています。
峰選手が北京五輪に出場したときも最年少の20歳でした。後藤選手が今同じ状況の五輪最年少メンバーということもあり、いちばん気にかけてあげたい存在なのかもしれないですね。
【ソフトボール五輪代表】峰幸代が引退から復帰した理由
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20歳で世界最高峰の大会、オリンピックで金メダルを果たし、その後も世界選手権で2度金メダルを獲得した峰幸代選手。
目的を果たしてしまった峰選手は、その先の目標を見失い「自分の中のソフトボールのキャリアはもう充分かな」と燃え尽きてしまったんです。
ちょうど所属していたルネサスの会社がビックカメラに変わるという状況もあり、2014年に引退することに。
引退後は指導者資格を取得して、全国各地でソフトボール教室をしたりソフトボールの普及活動を行っていました。
現役を離れて外から見ているうちに、ソフトボールの魅力を再確認した峰幸代。
そんなころ峰選手の引退をソフトボール界の損失だと思っていた、トヨタ自動車の当時の監督である福田五志氏が峰選手に声をかけたんです。「まだソフトボールを続ける気があるなら、トヨタも選択肢にいれて考えたら?」
以前峰幸代がプレーしていたのはルネサス(現在のビックカメラ高崎)で、トヨタはライバルチームでした。
かつてライバルだったところでプレーすることにためらいがありましたが、ソフトボールが五輪競技復活と決まったのが後押しとなりました。
「今しかできないことをやりたい」「もう1度五輪を目指したい」と強く思い、2016年にトヨタ自動車に入社し現役復帰することに。
やっぱりソフトボールが大好きというのは変わらず、オリンピックが復帰の最大の理由なんですね。
引退から約1年で復帰しましたが、1年のブランクは想像以上だったという峰幸代。
気持ちはあるのに体が動かない…日本代表には経験があったり若いキャッチャーが選ばれていき、なかなか声がかからず「やっぱり自分が入る枠はもうないのかな」と不安な日々を過ごします。
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それでもトレーニングを続け、トヨタでは北京五輪の時に対戦したアメリカのエース、アボットとバッテリーを組んで日本リーグでも2度優勝を経験。少しずつ自信を取り戻していきました。
そしてついに五輪代表に声がかかります。宇津木監督は見ていてくれたんですね。峰幸代を選んだ理由として「世界の一流投手の球を捕っている。体、頭、配球はまだまだ健在」とコメント。
上野由岐子選手とは長年ルネサスでバッテリーを組み北京五輪でも活躍したし、アメリカのエースのアボットともトヨタで組んでました。
さらに上野と並ぶもう1人のエース、藤田倭選手とも国体などで組んだことがあります。豊富な経験が強みとなったんですね。
さいごに
峰幸代選手はソフトボール界から必要とされる選手だったということが伝わってきました。
もう1度金メダルを目指して活躍する姿を楽しみにしています!
ソフトボール五輪代表の他の選手については、下記の記事を合わせてごらんください。
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