上野由岐子の生い立ちや両親の教育法や名言|メンタルが強い! 

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「未来を担う子どもたちにソフトボールの魅力を伝えたい」という思いで1戦1戦本気で取り組んでいる、レジェンド上野由岐子選手。

これまでソフトボールから色んなことを学んできたから、ソフトボールに恩返しの気持ちで現役を続けています。

そんな選手としても人としても魅力的な上野由岐子選手はどんなふうに育ってきたのか、とても気になりますよね。

今日はメンタルがものすごく強い上野選手にスポットを当て、生い立ちやご両親の教育方法そして心に響く名言をご紹介します。

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上野由岐子の生い立ちや両親の教育法とメンタルの強さ

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ソフトボール日本代表の上野由岐子選手の家族は父・母・妹の4人家族です。小さい頃から体格に恵まれていて運動神経も良く、ちびっこマラソンなどに参加していました。

小学校3年生のとき、お父さんとジョギングしていて偶然クラスメートとその子が所属するソフトボールチームの監督に会い、声をかけてもらったのがソフトボールを始めたきっかけです。

当時地元の福岡では野球よりソフトボールの方が盛んで、お父さんもやってたこともあり、すんなりソフトボールにハマっていった上野選手。

性格は控えめで「できるだけ目立ちたくないな…」と思うタイプ。でもソフトボールになると1番目立つピッチャーがやりたかったし、自然と自分をアピールできたのです。

長年ソフトボール界のエースとして君臨し、ケガや精神的に元気のない時期があってもひとつずつ乗り越えてきた上野由岐子。

そんな上野選手が形成されたのは、子どもの時からの両親の教育法だったのは間違いありません。

上野選手は「仕事より家庭が第一。子どもがやりたいことは何でもバックアップする」という温かい家庭で育ちました。

上野選手の家には家訓があり、幼少期からしっかりとしつけられていたんです。

上野家の家訓

  • 「はい」という素直な返事
  • 「すみません」という謝罪の気持ち
  • 「私がします」という積極的な行動
  • 「おかげさまで」という謙虚な気持ち
  • 「ありがとう」という感謝の気持ち

お父さん(正通さん)はとても優しい人でしたが、上野選手が中学生の時には厳しく叱られたエピソードがあります。

全国中学校大会の決勝戦でのこと。打席に立ってもなかなか打てないことに苛立ち、おもわずヘルメットをグラウンドに投げつけてしまった上野選手。

それを見ていたお父さんは、試合中にもかかわらず「道具に当たるとは何事か!」と一喝。上野選手は気持ちを切り替え、次の打席ではなんとホームラン!チームは見事優勝することができたのです。

また、お母さん(京都みやこさん)からは「人の悪口を言わない」「人に好かれる人間になる」ということを特にいわれてきました。だから上野選手はいつも礼儀正しく、素直な大人に育ったんですね。

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北京オリンピックで金メダルを獲得した後は、一気に知名度が上がり「上野フィーバー」となりました。

もともと控えめで人前に出るのが得意でない上野由岐子にとって、日本中での人気ぶりに少し困惑。どこに行っても待ち構える取材などに緊張やストレスを感じていました。

競技にも集中しづらくなっていったため、だんだんと周りの対応に気を配れなくなっていきます。

ある日試合が終わった後に、声援を送ってくれるファンの人たちにも笑顔すらなく早足で立ち去っていく娘の姿を見たお母さん。

あなたは子どもたちにとってはスターなんだから、スターらしく振る舞いなさい」とお母さんにいわれてハッとしたそうです。

30歳になったときにも「あなたも30なんだから、もっと大人の対応のできる人間になりなさい」と喝を入れられました。

そんなふうにぴしゃりとストレートに言う母と、素直に受け止める娘。すてきな家族愛ですよね。

人間は、年相応の振る舞いが必要ですよね。2016年にソフトボールが東京五輪の正式種目に認められてからは、注目度も上がりましたし、数多くの子どもたちがカメラを向けてくる。それに対して笑顔で明るく対応をしなければいけない。だんだんそう思えるようになりました。

実力だけでなく、人格もすばらしい上野由岐子選手が書いた本が「情熱力。」になります。北京五輪後の2009年に発行されました。

アスリートを目指すお子さんにもぜひ読んでほしい作品です。きっとあきらめず、前向きに頑張ろうと力が湧いてくると思います。

小学3年生のときに出会って以来、上野選手のバイブルとなっている本がこちらの詩集。

特にこの6巻の表紙にある「人に負けてもいい しかしやるべきことをやらない自分の弱さには絶対負けたくない」という言葉はいつも上野選手のなかにありました。

こちらは上野選手が宇津木監督に「ぜひ読んでください」と勧めた樹木希林の著書になります。

興味のある書籍があったらチェックしてみてくださいね。

上野家の家訓に沿ってまっすぐに育った上野由岐子はメンタルもとても強いです。

1番になりたい気持ちが人一倍強いことと、「人と同じだけだと上手くなれない」と常に自分に厳しくしてきた上野選手。

そしてピッチャーをやってきたから特にメンタルも鍛えられたとも言えるかもしれません。

バックを守っているみんなを信頼しつつも、それに頼ってはいけない。投手として1球1球に責任を持つ。頼ってしまうと自分の力は半滅し、半滅するとバッターに打たれてしまう…。

そういう意味では野手以上に心が強くないとやっていけないポジションだと上野選手はいいます。

そんな強い上野選手でも、北京五輪で栄光を手にした後は精神的にもきつかった時期があったんです。

「燃え尽き症候群」になってしまい、北京五輪に向けて頑張っていた時のような闘争心や向上心がわかず精神的に落ち込みます。

メンタルバランスは崩れているのに、試合には出場できて勝利する。。限界まで練習しなくても結果を出せるという、そんな状態が続き「このままだとチームに迷惑をかけるし、自分自身もダメになる…」とアスリートとして自分に苛立っていました。

そんな上野選手に宇津木麗華監督は「やる気がなくてもいいから続けなさい。続けることに意味があるんだから」と話し、上野由岐子を全面的にサポート。

ネガティブな時期にも寄り添い励ましてくれた宇津木監督のためにもがんばろうと、決意したのです。

レジェンドといわれる絶対的エースは、落ち込むときがあったとしてもそれを乗り越える精神力がすごい。アスリートもそうでない人も気持ちは強くいたいですよね。

ソフトボール界のレジェンド!上野由岐子の名言

強い弱いは執念の差

一言だけどとても深い言葉。それだけやってきたからこそ言える、ひとことですね。

日頃できないことはグラウンドに出てもできない。だからグラウンドで一流になりたいんだったら、日常生活も一流にならないと。ソフトボールはグラウンドだけがすべてじゃない
プレッシャーはなくはないですけど、別にそれは自分たちだけじゃないので

北京五輪前のインタビューにて。

北京五輪が終わるとソフトボールが五輪の競技から外れるというのは日本だけでなく、どの国も同じ。

だから絶対に金メダルを取りたいという気持ちはどの国の選手もあるはず。国の代表として出場し、プレッシャーと闘うのは自分たちだけではないという意味です。

みんなのために自分は投げなきゃいけないと思うし、自分が打たれても、みんなが上野のためにと思って打ってくれるわけで、それが信頼関係だと思う

あらためてソフトボールはチームプレーだと感じたときのコメント。

信頼関係って、力だけがすべてじゃないので。うまいから信頼しているわけじゃなく、人間性だったりとか、性格だったり、すべて兼ね備えていなければならないと思うんです

さいごに

ソフトボールってチームプレーだし、心理戦がすごく影響する競技なんですね。アスリートは常に自分と向き合い、自分自身と闘っていて本当に尊敬します。

ソフトボールから色んなことを学んできた上野由岐子選手。ソフトボールに恩返しをするという気持ちで現在も現役を続けています。上野選手をこれからも全力で応援します!

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