実業家の前澤友作さんが2021年12月に宇宙へ行くことが発表されましたね。
日本の民間人が宇宙へ行くのはなんと31年ぶり。前澤氏の前に宇宙へ行った民間人は秋山豊寛さんです。
秋山氏は「初めて宇宙に行った日本人」でもあります。今日はそんな日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さんってどんな人なのか、学歴や経歴も含めてご紹介したいと思います。
秋山豊寛の学歴とプロフィール

引用:生活クラブ
名前 | 秋山豊寛(あきやまとよひろ) |
生年月日 | 1942年6月22日(2021年現在79歳) |
出身地 | 東京都世田谷区 |
秋山豊寛氏は現在は一人で暮らしていますが、過去には奥さんと子どもがいました。
1990年に宇宙へ飛び立ったとき、出発直前に奥さんの京子夫人と「子供たちには一番好きな弁当を作ってやってよね」という会話をしたと当時のニュースで報道されていたので、子どもは2人以上はいることになりますね。
秋山氏の学歴は下記をご覧ください。
小学校 | 玉川学園 |
中学校 | 玉川学園 |
高校 | 攻玉社高等学校 |
大学 | 国際基督教大学・ICU 教養学部社会科学科 |
肩書きは日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部元教授となります。たくさんの肩書をお持ちなんですね。
秋山氏の経歴は次の項目で見てみましょう。
日本人初の宇宙飛行士!秋山豊寛の経歴

引用:weathernews
1966年 大学を卒業してTBSに入社し、ジャーナリストへなります。
米国特派員としてワシントンで4年間暮らし、TBSのワシントン支局長も務めました。
1988年にTBSが自社の記者をロシアのソユーズ(宇宙船)に乗り込ませて宇宙から生中継しようという計画が出ます。そして公募で約500人が申し込み、書類審査で100人に絞られ、最終的に秋山豊寛含め7人に。
7人残るものの、全員が落とされ「敗者復活戦」が行われることとなったのです。
そしてその時に通訳の米原さんという方が秋山豊寛を強く推薦し、選ばれることになりました。
米原さんが秋山氏を推した理由は「性格が悪く、頑固でひねくれもので宇宙飛行士には最適だから」だったそうです(笑)秋山氏の性格が本当にそうだったかは置いといて、ロシア人はそういうタイプの人間が好みなんだとか。
見事選ばれた秋山豊寛は宇宙飛行士の資格を取得し、1990年12月2日にソビエト連邦の宇宙飛行士2人と共にソユーズ宇宙船に乗船。
日本人として初めて宇宙へ行き、8日間宇宙に滞在したのです。
旧ソビエト連邦の宇宙ステーション、ミールに滞在したのも日本人では秋山氏ただ一人になります。
このときに小ネタがあって、実は秋山豊寛氏より先に毛利衛がスペースシャトルで宇宙へ行く予定でした。ですが毛利の飛行がトラブルで遅れたため、秋山氏が「初めて宇宙に行った日本人」となったのです。
1度は審査で全員落とされたり、毛利氏の飛行が遅れたりなど偶然が重なって秋山豊寛氏の名前が歴史に刻まれることとなったとは、すごく興味深い話ですよね。
秋山氏にとって宇宙体験とは何だったのか?という質問に対して、こうコメントしていました。
1992年にはこれまた世界初、ベーリング海峡を熱気球で横断したという経歴も持っています。とてもアクティブな方なんですね。
先ほどのコメントにもあったように、その後TBSを退職し福島県で有機無農薬農業と原木シイタケの生産を15年間行います。
ですが2011年に発生した東日本大震災と福島原発事故によって福島での生活や農業ができなくなってしまい、群馬の知人のところへ緊急避難することに。
2012年からは京都に移住、その後京都造形芸術大学の教授になって、農業実習を行ったり農業の価値を学生たちに伝えてきました。
2018年に同大学を退職して三重県大台町へ移り、再び有機無農薬の野菜づくりを始めます。
幼い頃から土をいじるのが好きだったという秋山氏。
秋山氏にとって農作業の合間に日光浴をするのが極楽なんだそうです。
さいごに
日本人で初めて宇宙へ行った秋山豊寛氏は現在農業に励んでいます。
宇宙から見た地球は青いと宇宙へ行った人はみんな言いますよね。行った人にしか分からない、悟りのようなものがあるんじゃないでしょうか。
前澤さんが宇宙へ行ってどんな感想を聞かせてくれるかも楽しみです。
秋山氏に興味を持った方は書籍をチェックしてみてくださいね。
引用:weathernews